Self-Dumping ENGINE

正直度50±1%

2024/04/30

日記

今日は授業が少ない日だったので8時過ぎに起きた。9時間睡眠なので非常に健康だ。 予備校に向かい、授業を受ける。 数学の教師がやたら生徒を咎めてくる。厳しいことを言ってくる先生は少ないので貴重だ。彼の授業を脱出して上位の授業を受けれるように頑張りたい。 昼になったので、お昼を食べ、街で生活物資を買ってその後予備校に戻った。 その後自習室閉鎖まで勉強して帰宅した。

"悪い"傾向性

TL;DR

結果としては間違っていたが、妥当な演繹をした人に対して、講師が悪い考え(=傾向性)をしていると言っていたが、手続き的に正しいのだから、これを非難するのはおかしいのではないか。

思考ノート

傾向性を道徳的に批判する際に必要な条件を考えてみると、結局それはその傾向性が他人に作用し、妥当な論理的根拠を持たないということではないかと考える。前者の理由は自明だ。他人に作用しないなら、その傾向性の有効範囲は自分だけとなるわけで、一人の世界に道徳は存在しないのだから1。 後者について考えてみる。 今回取り上げられた例では日本人全体の1%が持っているかも怪しい知識を知らないと誤った結論に至ってしまう状態だった、つまり大抵の人は妥当な思考の結果間違ったわけで、これは悪ではないだろうといいたいところだが、一つ問題がある。 無知の善悪に関する価値判断だ。 速い話が、無知は罪だろうか? 私にはわからない。 なので本を読んで勉強してくる。(話を中に投げる)


  1. これはかなり強い主張をしていて、メタ倫理ではこの問題が大きなテーマとなる